ここだけの話〜石高澄恵1〜
 
(大庭美夏)----ご自宅までおじゃましまして。
(石高澄恵)いえいえ。でもあんまり話すこともないんですよ。
----育成会の最初の頃の苦労話を石高さんに聞きたいっていうリクエストが来てたんで
    す。このコーナーの2番バッターで大変かもしれないんですけど。
ほんとでも、そういう話しかないですよ。清水さんのは非常におもしろかったですけどね。
人の話を読むのははいいんですけど、派手なこと嫌いなんですよ。っていうか写真も嫌い
なんですけど(笑)。
----すみません(苦笑)。気楽にお話ししてください。
お手柔らかにお願いします。
 
 
1年間は独学で

----将棋を覚えられたのはいつですか。
中学卒業した直後くらいです。弟が小学校で友達に教わってきて、動かし方を全部紙に
メモしてきて、見せてくれたんですよ。
----弟さんがやってておもしろそうだなと思ったんですか。
とりあえずって感じで、たぶん紙で作って指したと思うんですよ。家に将棋盤はなかった
と思うんで。ただ、あとで知ったんですけどそのルールも間違えてたんですよね。
並べ方がまず違ってて、桂香の位置が逆だったんですよ。
----あははは。
初心者だからわからないんですけどね。あと飛車が成るとクイーンになっちゃうんです。
----縦横斜め全部いけちゃう。
そうなんですよ、すごい強い駒になっちゃうんです。そういうふうに覚えてて、でも結構面
白いなって思って。最初は弟に負かされてばっかりでくやしくて、出し抜いてやろうと思っ
て本屋行って、宮田利男先生の「将棋が強くなる本」っていうのを買って、一人で読んで
たんです。そしたら「あ、ルール違う」「あれっ、桂香違うよ」みたいな(笑)。そこで初めて
正しいルールを知って。だから正確には、宮田先生の本でルールを覚えたんです。
----元々そういうゲームとかは好きだったんですか。
それまでは特に趣味はなくて、中学の時は吹奏楽部に入っていたので音楽は好きで、
あとスポーツも好きなんですけど、好きっていうだけのことで。
将棋はたまたまやりはじめておもしろいと思って、高校に入ってから夢中になり出して。
最初は今みたいにインターネットとかもないですから、新聞の切り抜きですよね。うちの
方は北海道新聞なんで、王位戦が載ってるんですけど、王位戦の棋譜を並べて、雑誌
は将棋世界を最初に買って、それで勉強しました。ひたすら棋譜を並べて、あと詰将棋
を見て、っていう感じで、ずっと独学、1年はもう完全に独学でした。
 
 
----覚えたばかりで棋譜並べってむずかしくないですか。
最初は全然わかんなかったです。宮田先生の本に全部、棋譜の読み方から何から一通
り書いてありましたから、一生懸命照らし合わせながら、76、76・・(盤面を探す)って。
----そこまで打ち込むほど、何がそんなにおもしろかったんでしょうか。
弟に負かされてたのがルールブック読んでから勝てるようになって、面白くなってきたん
ですよね。悔しがってる顔が(笑)。それで弟はすぐやめちゃったんですけど。
----じゃあそれからは全然人とは指さずに。
ええ、相手がいないからしょうがないんで、ひとり将棋指したり。
----でもひとりでよく1年間も熱意が続きましたね。
それからしばらくして将棋大会の記事をようやくみつけたんです。函館で正月に将棋大
会があるっていうんで、それではじめて将棋を指したんです。
----弟さん以外と。
はい。高一の終わりですね。
----どうでした?独学の成果は。
最初に段級聞かれたんですよ。わかりませんっていったら、じゃあそこの子とちょっと指
してみて、ってなって。それで4級っていわれたんです。
----最初から4級ですか。
最後までやってないですからね、途中まで見た感じで。序盤は勉強してますから、形は
すごくきれいだったんです。で、大会では2勝2敗だったんです。
----じゃあ、最初から勝てたんですね。
それでよけい楽しくなって。それから月2回くらい道場に通うようになって、どんどんどん
どんのめり込んで、授業中にも詰将棋、っていう世界に入っていったんですよ。
高校2年ぐらいですね。ちょうどそろそろ就職の話とかもでてくるじゃないですか。それ
を考えてたときに、この世界に進みたい!っていうのが徐々に大きくなってきて。
 
 
親に内緒で連盟に手紙を書いたんです

----そのときに女流プロの存在を知ったんですか。
いえ、雑誌見てましたからね。ただ女性とは育成会入るまで全く指したことがなかったん
ですよ。だからどのぐらいの強さなのかってことが棋譜を並べただけじゃわかんないんで
す。ただ道場のおじさんの話聞いてると、「なに、たいしたことないよ」って言うんですよ。
「中井さんとかね、強いっていうけどアマチュア二段くらいだよ」とか。
----ならできるかもって?
そんなもんなの?って思って、そしたらいけるんじゃないの?っていう、ちょっと甘い考え
が(笑)。それで、どうしてもプロになりたいって親に言ったんですけど反対されて。親も全
然将棋は知らないんですけど、プロの世界なんて甘いもんじゃないよっていうんです。で
もどうしても入りたくて親に内緒で連盟に「プロになりたいです」って書いて出したんです。
----へええ、内緒で手紙を。
それを読んだのが、当時総務担当理事だった武者野五段(当時)で、返事をくれたんで
すね。それがきっかけで。
----返事にはどう書いてあったんですか。
そのとき棋譜も一緒に入れたんですけど、「棋譜を見た感じでは、プロとしてはまだまだだ
けれども育成会員としてだったら何とかやっていけるレベルなんじゃないか」と。この世界
もすごく厳しいってことで女流棋士の収入とかも書いてあって、「ご家族ともよく相談されて
それでもなりたいのであればもう一度連絡ください」と。
----じゃあだいたい収入はこれくらい、とかも書いてあったんですか。
細かいことまでは書いてないですけど、ひとりで自活していけるようなレベルはトップの一
握りだけだ、とも書いてあったんですよね。でも、収入がどうとか全然興味なかったですか
らね。とにかく将棋指せればいいんですから。将棋指した上に、お金もらえるってことが信
じられないくらいだったんで、これはもうどうしてもなりたいって親を口説き落として、「どう
してもなる、絶対なる」って。
----育成会に入っていかがでしたか。
一番最初が高群さんとだったんですよ。で、あっさり負けて「がーーん」って感じだったんで
すよ。「強いなあ」と思って、全然聞いてたのと違うよ、って愕然としました。
----プロのトップがアマ二段って聞いてたのに。
そうですよ、楽勝と思ってたのに(苦笑)。でもそのあと2連勝して、初日は2勝1敗だった
んですよ。将棋を指して、充実感あふれて。「よし、もっとがんばれば、次は勝てる」ってま
すます燃えてきて。それからは毎回通うのが楽しみで楽しみで、しょうがなかったですね。
 
 
飛行機が落ちればいいと思った

----1年目は、惜しかったんですよね。(→リーグ表)
当時、清水さんの時と一緒で、育成会名人リーグと育成会王将リーグがあったんです。
王将リーグは3位で入れ替え戦いけなかったんですけど、名人戦は2位に入って、入れ替
え戦までいったんです。で、2勝1敗だったんですよ。高群さんに負けて、ほかは2局勝っ
たんです。
----プロにはふたつ勝ったってことですね。
頭ハネで、順位の差であがれなかったんですね。もう1年ってことになったら、また(親の)
負担がもう1年、だから何がなんでもあがらなきゃっていうのがあって、でもあがれなかっ
たんでかなりショックで。帰りの飛行機の中なんかもう「落ちないかな」っていう気持ちだっ
たんですよ。
----それくらいショックで。
でも師匠は「これなら次はあがれるから、こっちに出てきて修行したら」って言ってくれて、
それで上京することになったんですね。
----ひとり暮らしって不安はなかったですか。
母親が、すごい口うるさいんです。学校卒業してからは、将棋やっててもあんまり言われ
なくはなったんですけど、生活態度のことでもいつも言われてて、ひとり暮らしにかなりあ
こがれてたんです。だから非常に嬉しかったですね。
----将棋も心おきなくできるし。
そう!それがもう・・誰にもじゃまされずに、一日将棋考えててもいいわけですからね。
----育成会としては2年で卒業されたわけですよね。
でもその時は仮入会制度があったんですね。3年目から、入れ替え戦はなくなったんで
すけど、仮入会制度は残っていて、(年間で)5割とれるかっていう戦いになったんです。
最初のほうはけっこう勝ってたんで、これならいけるかなって感じだったんですけど、そ
う甘くはなかったですねえ。
----当時は対局がたくさんあったから上位の人とも当たる機会があるし、5割とるって
    いうのも大変だったんじゃないかなって思うんですけど。
でも、上を目指してましたからね。「将来は絶対タイトル取る、ここで5割とれないようじゃ
しょうがない」っていうのはあったんです。
 
 
----当時の女流棋界はどうでしたか。今みたいに共同で研究とか。
それはないですね。ひたすら近くの道場行ったり、あとは武者野先生の教室があって、
そこに窪田くん(義行五段)とか深浦くん(康市八段)が来てたんで、彼らと指したりお客
さんと指したり。女流と研究会はないですね。交流もあんまりなかったです。最初は弱い
弱いって聞いてたんですけど、実際やってみたら強いのがわかって、トップの力もある程
度わかってきて「ここまで棋力をあげないとタイトルとれないんだ」って気づいて。
----1年目、結果的に5割とれなくて育成会戻ってっていうあたりは・・
まあそのときはがっかりしたと思うんですけどね。でもまた次の目標に向かって這い上が
るぞ、もっとがんばんなきゃいけないんだ、努力が足りないんだ、っていうことだけです
ね。とにかく努力さえすれば絶対上にいけると思ってたんで。
 
 
青春時代

----当時の打ち込みぶりはある意味伝説的ですよね。食べるものもろくに食べず、って
    くらいで。
ほかに趣味もないんですよ。将棋が一番楽しいから、それ以上に楽しいことっていうのは
ないんですよ。
----一日に十何時間勉強するのは当たり前、みたいな感じで。
そうです。
----横山教室やってたのはいつからですか、十条の。
1年目は大宮にいたんで、次の年からですね。新築の結構いいアパートを紹介してもらっ
たんですよ。ただ自力で家賃は払えないんで、じゃあ武者野先生の教室をそこで毎週や
るから、お客さんからいただいたお金を家賃の足しにしてやってくれ、ということで住むこ
とになったんです。ただですね、それまではほんとに将棋しか楽しいことなかったんです
けど、そのあたりから徐々に別の楽しみを覚えてしまったのが悲劇の始まりで(苦笑)。
----え、たとえばどんな。
ファミコン、ですね。
----あぁ・・(笑)。
ファミコンを、持ってきた人がいたんですよ。しかも、また来週も使うからって置いてった
んですよ。「信長の野望」のゲームソフトつきで。
----運命を変えてしまった人がいたんですね。
誰とはいいませんが・・持ってきたのは、師匠です。ただ、はまらせてくれたのは窪田く
んです。
----あははは。
将棋教室なのに、「これは将棋に役立つから」って「信長の野望」を始めたんですよ。戦略
を考えるのが将棋に役立つとかいって。で、なんかわかんないけど弱い武将を持たされ
て、で当然負けるんですけどね。負けて悔しいなって思っちゃったのがだめだった。ひとり
で「ピッ(ボタンを押す)」って始めちゃったんですよ。慣れてくるうちに「面白い(にやっ)」
ってなっちゃって。軽く息抜きでやればよかったんですけど、メインがだんだんずれていっ
ちゃったから、それがマイナスに・・まあ結果論ですけどね。
----でも減ったっていっても結構な時間はまだ将棋に費やしてて。
将棋かファミコンか半々って感じで、その辺はまだよかったんですけどね。
----そのあとまた別なファクターが?(笑)
カラオケスナックにつれてってくれた方がいらしたんですよね。
----師匠ですか(笑)。
師匠です(笑)。連れていかれて一曲歌うまで帰さないとかいわれて、「歌なんか恥ずかし
いですよ」っていってるのに、歌わされたんですよ。
----でも歌ってみたら(笑)。
楽しいかも、みたいな。で「こんにちはー(ドアあける)」みたいな。
----自ら進んで(笑)。確かに横山教室の最後はみんなで・・
そうそう。「福助」行ってね、焼き鳥食べて、それかお好み焼き「きんちゃん」行って、最後
は「パープル」(カラオケ)。
----全部最後は「パープル」(笑)。青春時代っていうか、いろんなことを教わっちゃったっ
    ていうか。
青春を謳歌してしまったんですね。でもまあ、将棋やめちゃったわけじゃないですからね。
将棋だけじゃなくなったってことだけなんで。
----そういう時代があって、今の、たとえば後輩に慕われて、っていう幅になってるよう
    な気もするから、これも一局って感じもしますけど。
将棋ばかりやりすぎて、おかしくなっちゃったりするかもしれないですからねえ。だってそ
れこそ、将棋ロボットですよ。もし、ファミコンもカラオケも覚えなかったとしてですよ、将棋
マシーンになってたわけですよ。それはそれでねえ、破滅への道だったかもしれない。
----石高さんに出会っても話が合わなかったかもしれない。
そりゃそうでしょう、将棋の話できない人となんてしゃべるわけない(笑)。
当時はね、ファミコンなんて師匠が持ってくるからだ、って師匠にいっちゃったこともあるん
ですけどね。当然怒られましたけど、そんな考えがちょっとあったんです。でも今考えると、
将棋以外のこともいろいろ教えてくれて、考えが柔軟になったというか、今考えたらよかっ
た、って今ならいえますね。    >>>part2に続く