ここだけの話〜清水市代1〜
 
 
 女流棋士同士ならではの話題が飛び出す「ここだけの話」。
 第1回目のお客様は、清水市代女流名人・女流王位です。
 今いちばん力を入れているという自宅教室「ショウギ・キッズ
 ・ハウス」のお話からうかがいました。
                     インタビュー・文 大庭美夏 
 
 
 
ショウギ・キッズ・ハウス
 
−−キッズ・ハウスは、始められてどれぐらいになりますか?
清水「キッズ・ハウスっていう名称に変えて子ども専門にしてからは、4年目に入ったところ。
    3年半くらいかな」
−−(写真を見ながら)これは何をやってるんですか?
清水「何だったかな・・?いつも将棋ばっかりではなくて、
    今だったら暑中お見舞いの書き方とか、あと頭を
    使うものだったら何でも取り入れています。例えば
    しりとりをやったり、早口言葉をしたり、漢詩を読ん
    だり、何でも。算数もしますけどね」
−−楽しそうですねえ。
清水「あと、ものの名前の中に動物が入ってる言葉をノ
    ートに書こう!とか。例えば『レインコート』」
−−ああ…『インコ』、ですか。なるほど。
清水「そしたら一年生にインコがわからない子がいて、そこから説明しなくちゃいけなくって
    大変だった(笑)」
−−遊び道具がいっぱいありますね。
清水「おやつの時間のあとがフリータイムで、子どもたち同士で何かする時間なんです。
    あと夏はお泊まり会をしたり」
−−ここで泊まるんですか?
清水「うん、みんなで。雑魚寝ですけど泊まったりしながら」
−−なんか昔の寺子屋みたいな感じ?
清水「あ、なるほど(笑)、学校みたいな感じかもしれない」
−−塾っていうのともちょっと違いますよね。
清水「そう、全部子どもたちの自主性というのかなあ、なにがしたいって聞いて、みんなで
    決めたり。小学校1年生から6年生まで一緒に勉強していくので、題材が大変で」
−−内容も市代さんが考えられるんですか?
清水「父が中心なんだけど、手伝いながら一緒に、家族3人全員で考えてるかな」
 
 
人間的に成長してもらいたい
 
−−もともとお父様がなさってた教室を子どもさん専門にされたきっかけは?
清水「昔から、父は子どもに将棋を教えたいっていうのがずっ
    と夢で、それまでは教室って形で大人も一緒だったけ
    れども、(自宅を)建て直す時期がきたので、せっかくだ
    から子ども専門にしちゃおうかと。で、将棋だけ教えるの
    ではなくて、人間的に成長してもらいたいっていうのが
    すごくあったので、手段として将棋って感じかな、今は」
−−じゃあ比率としては将棋はどれくらいなんですか?
   回数とか、必ず一日の中でちょっとは将棋やる、とか。
清水「一応毎週日曜日の1時から5時までという目安はある
    んだけれども、好きな時間に来て、好きな時間に帰って
    OKという教室の場にしたくて。好きな子はずっと将棋指
    して、あとは合間にいろいろ…おやつの時間が3時から
    で、それがみんな楽しみみたい(笑)」
−−近くの子ばっかりですか?
清水「まあそうですね。車で送ってくる方もいるんだけれども、あんまり遠い子はね、続けるの
    大変だし。前に大阪からも通わせたいっていう親御さんいらっしゃったんだけれども、す
    ごくありがたいんだけど、やっぱり大変だから」
−−じゃある程度通えそうなところに住んでる方だったら入れるんですか?
清水「一応面接があります。来たい子が全部来られるって訳じゃなくて、一人一人の個性に
    応じて、できればマンツーマンで教えてあげたいっていう気持ちがあるんで。
    いっぱいだと目が届かないじゃないですか」
−−ここまで関わってこられてどうですか?あちこちで楽しい!っておっしゃってますけど(笑)
清水「うん、すごーい楽しい!(笑)一人っ子だったので、最初は子どもとの接し方がわからな
    くって、どうしていいか戸惑ってたんだけれど。すごく純粋で素直だからこわいぐらいなと
    ころもあるけど、自分もいっしょにすごい勉強になってる」
−−なるほど。
清水「日本語がだって通じないんだよ、1年生って」
−−あー、そうでしょうねえ。
清水「普通にしゃべっててもわからないことだらけ、みたいな。わかんないときはじっとみつめ
    られちゃうのね。こっちが照れちゃうくらいに。伝えるってことの難しさを痛感してます」
 
 
勝ち負けにこだわらず、礼儀作法を大切に
 
−−でも、そういう教室って今までなかったですよね。
清水「あ、どうなんでしょうね」
−−特にプロがやってるっていう意味では、どうしても養成所的な、強くなってその先にプロの
   道がつながってるようなお教室が多かった気がするんですけど。
清水「ああ、そうかもしれないですね。だからそういうつもりで通わせたいっていう親御さんも
    いるんだけれども、そういうときは面接でお断りして。プロを目指す教室ではないので」
−−今まではどうしても本将棋を強くするためにどうやって教えるかっていう感じがあった気
   がするんですけど、別に子供は必ず強くなんなきゃいけないってわけでもないんですよね。
清水「そうですね。うちの場合は特に、礼儀作法とか姿勢とか挨拶とかがまずできるようにっ
    てことでやってるので、将棋の勝ち負けには全くこだわらず、強くならなくてもいい、って
    感じです。好きな子はほっといてもずっと指してますし、強くなっていくし」
−−お父様は昔からそういう方針でいらしたんですか?市代さんに教えるときも。
清水「そうですね、わたしもプロ入り反対されたので。
    やっぱりプロになるとどうしても勝敗にこだわることになるでしょ?それがやっぱりちょっ
    と・・・一生楽しんでもらいたいという思いが強かったみたいで」
−−それもまた変わってるっていうか…普通、将棋を教えるお父さんって強くなってもらいたい
   っていう希望がありますよね。
清水「うん、できればプロにっていう思いがね」
−−それが逆にプレッシャーになって、娘の方は続かなかったりとか。
清水「美夏ちゃんちはどうだったの?」
−−うちは最初はかなり熱心だったんですけど、
   早いうちに娘の限界を知って・・・(笑)
清水「そんな・・・(笑)」
−−そこからあんまりうるさくいわなくなって、そし
   たら自分で。
清水「のびのび・・・」
−−そう、やれるようになりました。結構いわれるん
   ですよ、未だに、小学生の頃同時期に大会に
   出てた人には「あの怖いお父さんはお元気で
   すか」とか(苦笑)
清水「えっあっ、それは存じ上げませんでした(笑)」
 
 
女流育成会の1期生
 
−−今日は懐かしいものを探してきたんですよ。
   全然覚えてなかったんですけど、育成会の
   最初の対局、市代さんだったみたいなんで
   す。
 第1回女流名人位戦育成会リーグ(昭和59年度)


※並行して女流王将戦育成会リーグも行われた
清水「え、ほんと?そうだったんだ。このころのって
    わたし何にも資料が…先後で1局ずつ指して
    たんだよね」
−−育成会のときのことって覚えてますか?
清水「断片的に、制服でいってたなあとか。美夏ち
    ゃんとか美樹ちゃんのことは、同い年ってい
    うか近い年代だったから覚えてますね」
−−わたしの印象だと、当時から市代さんは別格
   だったような。
清水「冷たかった?(笑)」
−−いやいや(笑)。
   あと、全部矢倉だった記憶が。
清水「え、矢倉指してたの、私?すごい記憶力!
    (笑)私あの雰囲気、独特の雰囲気しか…」
−−いえ、何となくなんですけど。
清水「逆に、入替戦のインパクトが強すぎて。何と
    もいえない雰囲気で、その印象が強烈で」
−−そうでしょうね、シビアだったですよねえ。
清水「うん、すごかった。相手は当然プロ棋士、の
    方と指すということで、育成会と全然雰囲気
    が違って。やっぱり息苦しさがありましたね」
−−今入れ替え戦のお話が出ましたけど、育成会
   の1期生ってことで、先輩方と、意識とか、い
   ろいろ違ったところもあったかなーって思うん
   ですけど。
清水「え、どこ、なにと違う・・・?」
−−例えば、先輩方は推薦で(女流棋士に)なれ
   たっていう意味で、ならせてもらった、させて
   いただいた、っていう意識があるかなあって。
清水「そうなのかな?」
−−育成会出身は、勝ち取った権利、みたいな意
   識があるんじゃないかって。
清水「自分たちより次の世代は、育成会を勝ち抜
    いて、極端にいうと自分の実力であがってき
    たっていう思いが、やっぱりある。逆に言うと
    それしか知らないから、だから…ちょっと違う
    かもしれないね。ただ、きっちりお話ししてな
    いんで、先輩方と考え方が違うのか、わから
    ないけれども」
−−なるほど。
清水「特に自分としては、育成会の一期生としては
    同期がいるんだけれども、プロになった同期
    がいないんで、そういう意味ではひとりぼっ
    ちなところがあったから、なんか自分はちょっ
    と違うのかなっていうイメージが(あった)」
−−先輩方のほうも、どう接していいかって、違うところ
   があったのかなーって想像してたんですけれど。
清水「未だにそうかもね、なんて(笑)」
−−(笑)
清水「特に1回目は完全な入れ替え戦で、負けた人がもう一回落ちて、勝った人だけあがれて、
    仮入会もなかったし、棋戦が別々に入れ替え戦が2回あったりしたので、そういう意味では
    大きく変わるはざまで経験できたことがたくさんありましたね」